アイヌ語と日本語の比較対照的な考察 [概要] アイヌ語と日本語は構文的に類似しており,アイヌ語から日本語への翻訳において,語から語への単語直接翻訳によっても,その意味が理解可能な翻訳結果を得ることができる.しかし,単語直接翻訳は,そのままでは自然な日本語文とは言えず,自然な日本語文を得るためにはいくつかの問題を解決する必要がある.アイヌ語文の単語直接翻訳をより自然な日本語文へと変換するためのしくみを明らかにするために,アイヌ語と日本語の比較対照的な考察を進めている.以下の記述におけるアイヌ語表記は「アコロイタクAKORITAKアイヌ語テキスト1,(社)北海道ウタリ協会」に準拠して行っている. [いくつかの問題] (1) 名詞並びの変換処理 次の2つの例において,アイヌ語は「isepo ru」で,名詞並びであるが,<例1>では「ウサギが道を」,<例2>では「ウサギの足跡」という日本語訳が妥当である.「ru」の多義の処理も含まれる. <例1>exp11: …isepo ru tomotuye ruwe ne. :[アイヌ語] …ウサギ 道 横切る の だ。 :[アイヌ語・日本語単語直接翻訳] …ウサギが道を横切るのだ。 :[日本語] <例2>exp21: …isepo ru ku=nukar. …ウサギ 足跡 私=見る。 …ウサギの足跡を私が見た。 このような名詞並びの翻訳と変換を問題として,解決のためのしくみについて考察を進めている. (2) 連体節における動詞の時制の変換処理 次の2つの例において,連体節における動詞の時制の処理が問題になる. <例3>upa11:sine an to ta k=unuhu turano ekimne k=arpa hi ta ある日 母といっしょに 山へ 私が行く とき に ある日 母といっしょに 山へ 私が行ったとき に <例4>upa21:kamuycep a=suwe hi ta a=osura usi sinep ka isam サケを 人が食べる とき に 人が捨てる ところは 一つ も ない サケを 人が食べた とき に 人が捨てる ところは 一つ も ない <例3>では,「行ったとき」が自然な日本語訳であり,<例4>では,「食べるとき」が自然な日本語訳であると思われる.アイヌ語は,動詞が時制に依存して語形変化しない.時制は文脈や状況から判断するのが普通である.それゆえ,単語直接翻訳から時制を考慮した自然な日本語へと変換するしくみについて考察する必要性が生じてくる. (3) 場所表現における位置名詞の変換処理 <例5>upa31:cise or ta macihi ka hekattar ka tere wa 家 の所 で 妻 も 子供たち も 待つ て 家で待っていた妻や子たちは <例6>upa41:sinrit or ta ku=mataki ne amip mi wa 先祖 の所 で 私=妹 その 着物 着る て 私の妹は,先祖の所で,その着物を着て 「cise or」,「sinrit or」という表現で,位置名詞「or(〜の所)」を用いて場所を表している.この「or」の単語直接翻訳「の所」をゼロ化するかそのまま残すかが問題である.<例5>ではゼロ化,<例6>ではそのまま残すのが自然であると思われる.ここに存在するであろう変換のしくみを考察している. [例"exp・・":in「中川裕,中本ムツ子:エクスプレス アイヌ語,白水社」, 例"upa・・":in「中本ムツ子,片山龍峯:アイヌの知恵 ウパシクマ1,2,片山言語文化研究所」] |